自分をラベリングする強さと怖さ

おはようございます。

今日は昨日の話とも関連しますがラベリングについてですね。

 

自分をラベリングすることにより生まれる強さ、

そしてそれに伴う怖さについてお話ししたいと思います。

 

前回と同じように、

例えば血液型によるラベリングを自分に行った場合を考えてみましょうか。

 

A型の人は几帳面・細い、

B型の人はいい加減・大雑把・自己中心的、

O型の人は人懐っこい・おおらか、

AB型の人は変わり者・天才肌・二面性、

というところですかね。

※異論は認めます。

いつも思いますけど、血液型別性格診断でのB型の扱いひどくないですか?

 

ラベリングがもたらす強さとは

ラベリングがもたらすメリットでもありますが、

その強さとは何かと言うと

特性を決めてしまうことで、その決められた特性に従って行動がしやすくなるというメリットです。

 

仮に A型の人が、「自分はA型で几帳面だから」というように公言しているとしましょう。

そうすると、あなたは「自分の取る行動は几帳面であるべき」という考えが無意識に宿ります。

一方で、もしいい加減なこと・適当なことをしようとすると、

「自分は几帳面だから、ここはちゃんとやる人だ」という風に、

本来であればそこで止まるはずの手が、さらに几帳面の方向へ動くということがありえます。

反対に B型であれば、

「自分は大雑把で適当だから、少し適当なことでも許容範囲だ」

というふうに意識の刷り込みがされます。

 

当然、その B 型であること、A型であることを知っている周りの人も、

「あの人が A型だから・あの人は B型だからこうだ」という

いわゆるラベリングからくるステレオタイプを持って、その人の行動を見るようになります。

そのため、仮に B 型の人が本当は几帳面であっても、

そうでない行動をとっている姿が周りがみたとしたら、几帳面な面を見せたら、

「Bっぽくないなぁ」とか「変なとこ細いんだな」というようなことを言ったりもします 。

 

少し話が逸れますが、

こういった 考え方や周りからの認識が、

そのラベリングによってある種のステレオタイプが形成され、

それに引っ張られた形で認識をするようになります。

几帳面な人がたまたまA型だったのか、A型だから本当に几帳面になりやすいのか、

生物学的な根拠はありませんし、明確な相関があるわけでもないようです。

どちらにしても、心理学的にはラベリングによる影響があるのではないかと言われています。

つまり几帳面というA型由来の特性が先なのか、

A型だから几帳面ということを無意識に植え付けられて(ラベリング)、

A型の人がそのように振る舞うようになった結果几帳面になってしまったのか。

鶏が先か卵が先かの話になります

 

ラベリングをもたらす怖さとは

ラベリングをもたらす怖さについては、皆さんの想像がついているかもしれませんが、

「私はA型だから几帳面だ。だから几帳面でなければならない。」

という刷り込みによる無意識の言動が起きるということですね。

 

本来の自分は適当にざっくりとしたことをしたい(B型的性格)のに、

A型であるという自分に対して,無意識に几帳面であろうと振る舞うことがあり得ます。

逆に B 型であれば、

本当は緻密な計算や細かい作業、そういったものが好きなはずなのに、

「自分はB型だから適当だ」とか「自己中なんだ」とかという

意識・刷り込まれた無意識によって、少々奔放な言動を取ったりすることがあります。

 

例えば、あなたが普段は元気で大きな声で喋る人だとします。

ですがあなたが何か悩みだとか辛いことがあった時に暗く静かに落ち込んでいるという状態だった時、

あなたの周りの人は「元気で明るいあなた」というラベリングがされていますので、

「どうしたのあなたらしくない、元気がないじゃないか」

「暗い君は君らしくないよ」

という言い方になったりします。

これは、その人の長所をもっと発揮してもらいたいっていう期待を込めての発言かもしれませんが、

逆の見方をすると、

その人が生来持っている、静かな自分・暗い自分・元気がない自分、

そういったものを否定してしまっているということにもなります。

ラベリングしてしまったがゆえに、

そのラベルの範囲内でしか思考や行動することができなくなるという恐れがあるんです。

 

自分らしさという束縛

皆さんMr.Childrenはご存知ですよね。

有名なバンドで、私が幼いころから活動されていて、メンバーもアラフィフの大御所になっていますね。

そんな彼らの有名な曲の一つが「名もなき詩」ですね。

こちらの歌詞の中で私が印象に残っているのが、

「自分らしさの檻の中で もがいているなら 誰だってそうなんだ」というフレーズです。

「らしさ」って言葉は、自分らしく生きようとか、あなたらしくないよーとか、

そういう言い方で使われることが多いですが、

本来の自分の特性を発揮するという側面もあれば、

そうじゃない時の自分を否定してしまう、

そうじゃない自分を生み出さないような、

ある意味、束縛・檻のようなものになっていないか?

というのを考えさせられます。

 

何が言いたいかって言うと、

らしく生きる、らしくないところをどうにかする、

そういったことが必要な時もありますが、

もっと大きなことで言うと、「らしい」とか「らしくない」とかに縛られず、

自身が望むように思うように自由に生きていくことが何よりも大切だと思います

 

まとめ

ということで今日のまとめです。

  • 自分にラベルを張ることは自分の特性を強化する側面がある
  • その一方で ラベリングにはそれ以外の行動を制限する・許さない・束縛する面がある
  • それらが無意識に起こされる場合がある
  • らしい・らしくないにこだわらず、今の自分がどうありたいか・どうしたいか、ということを一番大事に考えましょう

 

これまでのあなたがどうであるかよりも、

今日この瞬間から、今から、これからのあなたが、

より良くなっていくことを、より望む生き方を選べるように願っています。

 

それでは、今日も良い一日にしていきましょう!

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